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S2000 History's
■1998.Sep
1998年9月 モーターショーコンセプトカーSSM(スポーツ スタディ モデル)から派生する形で開発が進められていたホンダ創立50周年記念モデル「S2000」として東京青山本社においてプレスカンファレンスが行われる。曰く「21世紀に向けた新しいホンダのシンボルである」。
■1998.Oct
同年10月 ツインリンクもてぎで行われたホンダ創立50周年記念イベントにおいて、当時の吉野社長の運転により、あたかも産声のごとく初めてそのエキゾーストノートを響かせ、オープン走行を観衆に披露した。
S2000はマーケティングニーズによるプロダクトではなく、メーカー側からのプロダクト・アウトである。9000回転という超高回転ユニットに対応できるATミッションが技術的に開発が困難であること、センタートンネルを構成するハイXボーンフレームのスペース的制約により、MTミッションのみという近年稀に見る硬派な商品展開となったが、これぞ、MTでドライブしてもらいたいという開発陣からのメッセージなのである。
■1999.Apr
1999年4月15日 販売開始。これに先立ち、NSX専用工場として設立された栃木県の高根沢工場にて生産が開始されている。手作業によるスポット溶接や、ボディのヤスリでの仕上げなど、量産車しては異例の手間と品質管理により、一日の生産台数は60台前後となり、バックオーダーとなる。
専用のシャーシ、エンジン、ミッション、タイヤを採用する贅沢な設計となり、他車との部品共有率は14%以下という、現在の自動車製造においては異常な数値であり、コスト度外視の開発と、それを許容できた環境、加えて、F1全盛期の技術者が多数参加し、開発した最後のスポーツカーである。
ホンダがFRを生産するのはS800の生産終了以来であり、日経トレンディ「ヒット商品ランキング」において21位となるなど、社会的にも注目を集める存在であった。
型式 GH-AP1 100型
イヤーモデル 99モデル
■2000.Apr
2000年4月 初のイヤーモデルとなる110型(01モデル)が登場する。平成12年排ガス規制に対応するため、型式をLA-AP1に改め、サンバイザーの異音対策やトランクルームの防水処理変更など、細部に初期型からの改良がみられる。
同年7月、世界初となる車速連動可変ギアレシオ機構「VGS」を搭載した「Type-V」を追加する。
市販車において初めて円形ではないステアリングを採用した。
型式 LA-AP1 110型
イヤーモデル 00モデル
■2001.Sep
2001年9月 イヤーモデル変更に伴い、大幅な改良が行われる。エンケイ製標準アルミホイールは表面研磨処理タイプに変更、フロントピラーもボディ同色となり、Fライト内部はメッキ処理に変更、外気温に影響を受けやすいソフトトップのリアスクリーンは、PVC製から熱線入りガラスに変更され対候性と視認性に大きな改善をもたらした。シフトノブ、センタートンネル内装の素材変更の他にスタビライザー、ダンパーのセッティングも変更され、乗り味も変化している。また、4コートベークのプレミアムカラーと内装にブルー、オールレッドを加え、自由に組み合わせが可能なカスタムオーダープランを設定。あまり知られてはいないが、リアのガラス化に伴いハイマウントストップランプも5mm高さが変更されている。ダウンフォース云々ではなく、北米での法規対応による変更である。
型式 LA-AP1 120型
イヤーモデル 02モデル
■2002.Oct GIOIRE
2002年10月 初の特別仕様「GIOIRE」を300台限定で発売。BBSアルミホイールはシャンパンゴールドに塗装され、ドアミラーはメッキ、内装はジオーレ専用のタンカラーレザーとされ、キルトステッチは皮革職人の手縫いで、1日にシート3脚分の生産が限界という贅沢な作りを採用。フェンダーラインに貼られたゴールドストライプも高根沢工場の職人により、1台づつ手作業で貼り付けられるなど細部にわたり職人技を盛り込んだ仕様であった。
ダークカーディナルレッド・パールはオートカラーアウォード2003ファッションカラー賞を受賞している。
型式 LA-AP1 120型
イヤーモデル 02モデル
■2003.Oct
2003年10月 大規模なマイナーチェンジを行う。タイヤサイズは17インチとなり、前後バンパーやライト類もデザイン変更、特にリアのストップランプは、ホンダ初採用のLEDとなる。ボディ各所の補強がなされ、前後にパフォーマンスロッド追加、サスペンションアーム基部のリブ溶接、サスペンションジオメトリー変更に伴うリアサブフレームの変更、トランスミッションのカーボンシンクロ、クラッチスレーブシリンダーの改良など、駆動系にまで手を加え、内装においても初のドアポケットの設置、ドア内張の厚み変更による室内空間の確保、センターコンソールの改良など、それまでより収納についての配慮がなされていた。また、メーターの意匠も変更され、時計がメーターパネルで見られるようになった。
型式 LA-AP1 130型
イヤーモデル 04モデル
■2004.Spr
2004年3月 平成17年排出ガス規制適合のため、型式変更を行う。LA-AP1より、ABA-AP1となり、車台番号も135から始まる。同年4月下旬をもって、栃木製作所高根沢工場での生産を終了。この135型こそ、高根沢ラストモデルの証である。当時は3か月に一度は定期的にファンによる工場見学が頻繁に行われており、工場閉鎖時には有志による大規模な見学、お礼のイベントが行われ、ホンダ公式の閉鎖イベントにおいては参加者の抽選が行われる程、高根沢工場の閉鎖を惜しむファンは多かった。構造的に変更された点はないものの、高根沢の匠たち、渾身のモデルであることを伝えるべきだろう。
型式 ABA-AP1 135型
イヤーモデル 04モデル
画像はヘッドライトウオッシャーを装備したユーロ仕様
■2004.July
2004年5月より、鈴鹿製作所TDラインへ生産移管を行い、製造場所変更に伴い、車台番号も200番からスタートする。高根沢製作所から異動した匠と新たに志願して生産に従事した新世代の匠達により技術の伝承が行われたモデルである。高根沢工場の65%しかないスペースで溶接されたボディ、直線化された製造ラインなど、異なる製造環境においても高根沢のクオリティまで高めた努力は並みならぬものがあったであろう。全てはスポーツカーを作り続けたいという情熱が彼らを突き動かせたことだろう。その意味においては、高根沢の立ち上げ時と変わらぬ情熱が込められたモデルと言えよう。
型式 ABA-AP1 200型
イヤーモデル 04モデル
■2005.Nov
2005年11月 遂にS2000は自身のアイデンティティともいえるエンジンの変更を受ける。先立って、北米ではF20C2と呼ばれる2.2Lエンジンが導入されていたが、F22Cは排気量の変更のみならず、制御系ECUの高ビット化、法規対応のライト光軸調整機能、フューエルリッド裏側のキャップホルダーの追加(輸出モデルでは以前より標準装備)電子スロットルの導入など、多岐にわたる。
レブリミットが1000回転下げられ、最高出力も242psとなり、9000回転、250psというアイコンを自らを失ったことについて賛否あるものの、年々強化される世界の排ガス規制により、国内では多くのスポーツカーが姿を消す(NSXもしかりである)中で、性能優越性を捨てても高い環境適合性能(二次エアポンプの排ガス対策が継続できないこともあり)実現により成熟の足並みを途絶えさせないことを選択したホンダと、技術者たちに心からの賛辞を贈るべきであろう。
中低速トルクの向上とクロスレシオ化により、どの速度域からも鋭いレスポンスを引き出すことはF20Cとはまた異なるレスポンスに重きを置いたスポーツカーの魅力である。
外見上、以前の04モデルとの違いは少ないが、欧州の衝突安全基準を満たすためにシートヘッドレストの「穴」が無くなっている。
型式 ABA-AP2 100型
イヤーモデル 06モデル
■2007.July
2007年4月 ニューヨークオートショーにて北米専用モデル「CR」を発表した。フロントの大型スポイラーと中空成型の軽量なリアウイング。このウイングはオープン走行時の整流とダウンフォース獲得の双方の効果を実現している。このCRは、軽量化のためにソフトトップユニットごと取り外され、代わりにハードトップが標準装備されている。サスペンションセッティングもサーキット走行を前提に煮詰められ、S2000では唯一リヤタイヤが255サイズに強化されている。北米専用ということで、発表当時は国内のオーナー達は羨望の眼差しを向けるしかなかったが、ホンダはCRとは別のアプローチにより、北海道の鷹栖にてS2000の究極の姿を求めていた。
型式 ABA-AP2 110型
イヤーモデル 08モデル
■2007.Oct
2007年10月 事実上最後の改良となるAP-2 110が登場する。新意匠のアルミホイールに変更され、ロールバーに合計4つのサテライトスピーカーが追加された。また、VSA(ビークル・スタビリティー・アシスト)の導入など、AP2から高ビット化されたECUに安全性の付加価値を持たせている。
このモデルからスペアタイヤの装備を取りやめ、今では一般的となったパンク修理キットをトランク下部に収納するように変更されている。
ただし、電子デバイスの増加と共にリレー、ハーネスなどが増え、もともと収納容積すらない内装の内側に綺麗に収める作業はかなりの熟練した技術を要したという。
2009年8月9日まで生産を延長し、駆け込み需要の注文を全て消化。最終生産号機は、抽選でプレゼントされるという異例のキャンペーンが行われた。
型式 ABA-AP2 110型
イヤーモデル 08モデル
■2007.July.Type-S
AP-2 110型の登場と同じくラインナップされたのが「Type-S」である。北米向けのCRの日本版のようにみられるが、こちらはサーキットユースではなく、ワインディングを心地よくクルーズするために空力と脚周りを高速域で安定させる方向で鷹栖で開発された。
そして・・・
「Type-R」は我々の眼前に現れなかった。
開発責任者の上原氏によれば、オープンでType-Rは成立しない・・・。
つまり、上原氏は日常から解放してくれるオープンカーには他のType-Rとは別の存在を究極の姿と捉えていたようである。赤いホンダマークは与えられなかったが、NSXからこのモデルまで、絶え間なく成熟をやりきる。上原氏が現役時代最後に世に送り出したモデルである。
このモデルと入れ替えにより、VGSを装備したType-Vは生産を終えている。
型式 ABA-AP2 110型
イヤーモデル 08モデル Type-S
■2009.Jan
2009年1月、既に生産終了のアナウンスが流れた後、欧州向け限定車「アルティメットエディション」がジュネーブモーターショーで発表された。シリアルナンバー入りのスカッフプレート、赤いステッチのシフトブーツ等の特別装備を備えていた。
欧州向けの気候に合わせてハードトップが標準装備されていたが、何より特筆すべきは、最後までF20Cを搭載していたことであろう。成熟したボディと脚周りに登場以来20年が経過する現在でもなおそれを超えるものがないF20Cを搭載していることは、文字どおり白眉といえるだろう。有志による鈴鹿TDラインお別れ見学においては、工場側のご厚意により、欧州へ向けて旅立つ直前の完成車を披露して頂いたが、その際、最後に新品のF20Cを目にしたオーナー達の胸中は想像に難くないことであろう。
そして、2009年8月9日・・・
S2000最終号車がTDラインからラインアウト。
時の止まったTDラインには、ハードトップの防水試験に使用され、品質の維持に貢献した一台のS2000がその誇りを無言で伝えていたという……
型式 ABA-AP2 110型
イヤーモデル 08モデル
アルティメットエディション
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